栃畑谷地区で落石防護柵設置予定地内で約3,000平方メートルの範囲に所在する石造物を調査しました。ここでは16世紀末から17世紀前半にかけての墓群がひろがっており、大型の組み合わせ宝篋印塔もあることから銀山最盛期を担った「山師」等の墓がつくられた可能性があります。銀山の銀産量が落ち込む17世紀後半には一旦墓地は断絶しますが、18世紀後半になると再興して幕末にいたることがわかりました。

梵字の刻まれた山師の墓石が見つかった様子