山村留学は、1976(昭和51)年に(公財)育てる会によって始められた教育実践活動であり、農山漁村の自然と文化と人情を活用した「次代を担う人づくり事業」です。さまざまな体験活動を通して、子どもたちの生きる力を育むことを目的としています。山村留学する子どもたちは、小中学生時代の一時期に親元を離れて農山漁村へ転入し、農家や寮などで生活しながら地域の小中学校へ通学します。

 (公財)育てる会が創設した、親元を離れて自然の豊かな農山漁村で1年間暮らしながらさまざまな自然体験をするという山村留学は、その後、同会が推進している子どもたちの健全育成のための教育実践活動というよりも、過疎地域における零細校対策(=学校存続のため、複式学級の解消のためなど=)として認知され、全国各地へ広がっていきました。

 このような零細校対策として山村留学が広がり始めた時期は、折しも、子どもたちを取り巻く教育環境が悪化し始め、学校生活に馴染めない子どもたちが増え始めた時期でもありました。過疎地域の事情と教育環境の悪化という事情はいつしか重なり合い、自然豊かな農山漁村で都会の子どもたちを受け入れていた山村留学は、そうした子どもたちの心を癒すいわば「駆け込み寺」として、マスコミや教育関係者、子育てに悩む保護者の注目を浴びるようになりました。その結果、山村留学は、過疎地域で行われている、問題を抱えた子どもたちを対象とした療養のための制度であるかのように捉えられるようになり、現在に至っています。

 山村留学生を受け入れる側の子どもたちにとっては、山村留学生(=一般的には都会の子どもたちであることが多い=)と接しながら一緒に自然体験活動を行うことで、自分の住んでいる地域を見直し、ふるさとを再発見するという大きな効果が期待できます。

 山村留学の創設から半世紀近くが経過。山村留学は「淘汰」の時期を迎えました。厳しい運営状況が続く地域が多数ある一方で、安定的に参加者を確保している地域もあり、大きくは2極化が進んできているといえます。現在では、「山村留学=過疎地域の零細校対策」、「山村留学=問題を抱えた子どもたちを対象とした療養目的の制度」というより、「山村留学=次代を担う人づくり事業」として賛同の輪を広げようという動きが出てきています。

 山村留学は、問題を抱えた子どもたちの問題解決・療養をするという性格の取り組みや、また、都会の子どもたちのみを対象とした取り組みでもなく、農山漁村の子どもたちも含めた現代に生きる子どもたちのために行われる、農山漁村の自然や文化と人々との交流を活用した「生きる力」を育む教育実践活動=「次代を担う人づくり事業」です。今後、その重要性は一層高まることでしょう。